ライデン(Leiden)[観光散策]10月3日は解放記念のお祭り

こんにちは。なかしま です。

10月3日はライデンの解放記念日。1574年にスペイン軍の包囲から解放された日です。街に露店、的屋、仮設遊園地が現れて、ラーケンハル博物館は入場無料になり、午後からはパレードが行われました。

日本から旅行に来たお友達とお出掛けしてきました。

思い出保存と情報共有を兼ねて旅行記を綴ります。

適宜、読み飛ばしてくださいね。

本編…汎用的な情報 | …歴史のこぼれ話 | …個人的な感想文 | …行き方や公式サイトの案内

概要

地図

旅した国と地域

国:オランダ
地方 / 州:南ホラント州
市町村:ライデン

街歩き

露店・仮設ゲーセン・仮設遊園地

お祭りの日は、マーケットとかスクエアとか呼ばれる広場が、遊園地と化します。

日記:露店と仮設遊園地

今日は解放記念日のお祭り。ライデン駅を出るとさっそく露店が並んでいました。

「日本の縁日の露店よりも、ひとつひとつが大きいね。」と、友達。確かに大きい。で、形も様々。

お祭りの日は、マーケットとかスクエアとか呼ばれる広場が、遊園地と化します。ヨーロッパではよくあること…とはいえ、どれも仮設なのが何度見ても驚きです。

ボール状のドーナツ:オリボーレン

露店で、友達がボール状のドーナツを購入しました。オリーボーレン[Oliebol]といい、Wikipedia によれば<油でできたボール>という意味だそう。

オランダの伝統的なお菓子で、大晦日に食べる習慣があります。空気を含んで目は粗め。ずっしりこなくて、甘すぎない。お好みで粉砂糖をまぶして頂きます。

材料は:小麦粉、卵、酵母、塩少々、牛乳、ベーキングパウダー、カシス、レーズン、柑橘類の皮 など。

現在よく知られている穴の開いたドーナツの「起源」は、このオリボーレンなのだそう。アメリカに渡ったオランダ人が伝え、油と火の通りにくい中央に穴があけられるようになったそうです。

日記:逆流性食道炎をわずらい中

私は昨年の大晦日に知り合いから頂いて初めて食べました。美味しかったので、以来、露店で見るとたまに買います♪

今回は、友達からひとくちだけもらいました。実は自分は今、逆流性食道炎をわずらい中。油や脂肪分を控えなくてはならないのです、悲しい😥

白パンとハーリングの配給

Samenvatting 3 oktober-viering Leiden 2019

今日は計量所で白パンとハーリングが無料で振る舞われるそうです。でも事前に整理券を受けとっているライデン市民らが対象。旅行者は配給にあずかれないですが、そんなイベントがあると知るのも楽しいもの。

旅行インフォメーション

10月3日協会
De 3 October Vereeniging

10月3日協会De 3 October Vereeniginghttps://3october.n...ri-ben-yu/  

ラーケンハル博物館(Museum De Lakenhal)

解放記念日は入場無料

観光案内所を含め市の施設は祭日モードでほぼお休み。ですが、この博物館は午後1時まで開館、しかも無料です。「解放記念日の無料公開」は、1874年に博物館が開業した当初から毎年続いている、伝統ともいえるイベントのひとつなのです。

1階に祭壇画などルネサンス期の美術品、そして上階にライデンの包囲と解放に関する展示室があります。

日記:今日は入場無料なのよ♪

ここは何だろう…と、いりぐちでもたもたしていると、お子さん連れの女性が「今日は解放記念日だから入場無料なのよ♪」と教えてくれました(通常料金は€12.50 *2019年現在)。

博物館の展示品

ラーケンハル博物館で観れるものは:

  • 三連祭壇画など宗教改革前の宗教美術品(~1566)
  • ライデン包囲と解放に関する品々(16世紀後半)
  • レンブラントを始めとするライデン出身の画家などの絵画作品(16・17世紀)
  • 毛織物業に関わる絵画や道具(17世紀)
  • 近現代アート(19世紀~)

などです。

勇敢なライデン市長のエピソード

ラーケンハル博物館で見ることができるこの絵は、包囲中の飢餓に耐えかねた市民が「パンがないなら降伏を!」と市長に詰め寄っているシーン。展示室でも目立っていた大きな絵です。

市長はこの時「いつかは死に至る我が身が、今ここで市民の助けになるのなら本望。切り刻んで配って欲しい。」つまり殺して食え、と言ったのだそうです。これを聞いて市民は自らを恥じて要求を撤回したというエピソードが残っています。

Wikipedia では「どんな戦争にもキャッチーなエピソードがあるように…」と始まり「真偽のほどはわからないものの、このエピソードは絵画によって広く知られることとなった」と結んでいます。

スペイン兵のシチュー

ライデン包囲(1574年)に関する展示室に、ショーケースに入った「食器」と「黒い鍋」があります。撤退したスペイン兵がキャンプ(Lammenschans) に置き残していった備品だそうです。

”戦利品” ときいてイメージするものよりもずっと地味な品々に、かえって臨場感がわきます。

黒い鍋には、逸話が残されています。スペイン兵が撤退した翌朝のこと、お腹を空かせた少年が偵察にでると、スペイン兵が置き去りにしたシチューがまだ暖かい状態で残っていました。少年はスペイン兵撤退の吉報とともに、このシチューを持ち帰ったと云われています。

これにちなんでライデンでは、10月3日にヒュッツポットと呼ばれるシチューを食べる習わしがあるのだそうです。

北方ルネサンスを楽しむ

識字率の低い中世、絵には情報を伝える役割もありました。この博物館に展示されている中世~ルネサンス期の宗教美術品は、1566年の偶像破壊(イコノクラスム)を免れて保管されたきたものです。

北方ルネサンスの傑作のひとつに数えられる三連祭壇画「最後の審判(Lucas van Leyden 作)」は、数世紀にわたってタウンホールで保管されてきたとのことです。

「北方ルネサンス」は「イタリアルネサンス」と比べて超細密。あるべき姿よりもありのままの姿を描く写実主義…と、手持ちの書籍が教えてくれてます。宗教画にもそれが表れ、聖人や神話の登場人物にも人間に近いリアルな描写が見られるのだそうですよ。

ファサードの羊

ファサード(建物正面)の頂上に現在も羊🐏の彫刻が見られます。

ライデンは中世から、羊毛を加工する毛織物業が盛んな地域でした。17世紀には西洋で最大規模の毛織物の生産地に発展しました。
現在博物館になっているこの建物は、かつての布会館です(ラーケン=布 ハル=広間/会館)。

ラーケンハルは、ライデンで生産される毛織物の品質を検査し保証する機関として、1641年に設置されたそうです。博物館には、この品質保証の印章も収蔵されています。

旅行インフォメーション

ラーケンハル博物館
Museum De Lakenhal

Oude Singel 32, 2312 RA Leidenhttps://goo.gl/map...FY9ydY6YP8
公式ウェブサイトhttps://www.lakenhal.nl/nl  

パレード(Grote Optocht tijdens)

お祭りのパレードです。コースの全長はおよそ2.5キロメートル。パレードは途切れたり停滞したりしながら進みました。観客の歓声や声援で盛り上がるシーンがたびたびあり楽しいです。

パレードのコースを調べる

日記:

パレードのコースを調べずに現地に行ってしまいました。

開催時間が迫ってからスマホで検索したところ、観光局のサイトで情報を拾ってしまい、彷徨うことに。Google Mapsに刺されたピンが著しくずれていたんですよね~💀

当日のプログラムのPDFをどこかのサイトで入手しましたが、祭り終了後には消えてしまい、どこで配布されていたか確認できませんでした。でもおそらく、10月3日協会の公式サイト( https://3october.nl/ )だったかと思います。

ライデン大学設立444周年!

パレードにはライデン大学も参加しました。大学の設立は「ライデンの解放」と密接な関りがあります。

オランイェ公ウィレム*31は、スペインの包囲に屈することなく勇敢に市を守り抜いた市民に報いたいと考え、次の2択を与えたと云われています。

「10年間の税金免除か、大学設置か。」

市は後者を選びました。1575年、ライデンにオランダ初の大学が設置され、同大学は今年で444周年を迎えました。

*31 オランイェ公ウィレム…オランダ祖国の父として知られる。スペインの圧政に耐えかねた貴族や市民のリーダー的な立場に立ってスペインに反旗を翻した。このためスペイン国王から国家反逆罪で懸賞金を懸けられ暗殺されるが、オランダは、この反乱と戦争を経て「独立」に至っている。

旅行インフォメーション

パレード
Grote Optocht tijdens

公式ウェブサイトhttps://3october.nl/   

ビュルフト城塞(Burcht van Leiden)

ビュルフト城塞は2つのライン川の合流地点に位置しています。城塞跡は郷土愛を象徴するモニュメント的な位置づけとなり、現在は市民公園になっています。

歴史:略史

住民が築いた堤防が、12世紀に要塞として強化されました。しかし13-14世紀頃には要塞の周囲に町がひろがり、要塞は要塞としての機能を失います。16世紀のスペインによるライデン包囲中には、この要塞跡が過去の戦いにおける包囲戦を思い起こさせました。

ぐるり一周

日記:生い茂っている木に視界の半分ほどを阻まれる

要塞に登って、ぐるり一周。街並みを見渡すことができ…ると思ったら、生い茂っている木に視界の半分ほどを阻まれました(笑)

方面ごとに、見える景色について解説があります。

かつての孤児院が見えるのは要塞の…北東だったかな。解説によれば孤児が労働力として買われた時代があったそう。よその地域から孤児を「輸入」することさえあったとか。それは毛織物産業でライデンが大いに栄えた17世紀のことでした。

700年におよぶライデンの毛織物産業

歴史:700年におよぶライデンの毛織物産業

ライデンは、15世紀にはすでにホラントで最大の毛織物産業の都市に成長していましたが、17世紀に西洋で最大となり最盛期を迎えます。

政治的な理由や宗教的な理由で近隣諸国から逃れてきた人々が、ライデンに新しい技術をもたらしたのです。

興味深いことに、原料は主にスペイン産のメリノ羊毛でした。戦争中の敵国から大量に輸入していたのです。スペインはこれを止めようと試みますが、最大の顧客を失ってかえって自らの首を絞めることになり諦めました。

ライデン産の毛織物は日本へも将軍への献上品として入ってきたそうです。羅紗(ラシャ)という言葉は、当時ライデンで作られていたラスという毛織物に由来するとか。

一方で、この成功した産業は暗い側面も合わせ持っています。子供や孤児までが労働力として使われ、生産物は奴隷貿易の対価としても使われました。

ラーケンハル博物館で見られるスチールワイヤー製の立体モダンアート(Atelier Van Lieshout 作)は、労働者の置かれた状況を物語っているそうです。人によって操作される織機と、人を材料とする機械の共生…というような趣旨(と思いますが間違ってたらゴメンナサイ)の解説が添えられています。

さて、18世紀から様子は変わります。フランス産の安価な織物が市場を席捲するようになり、ライデンは競争力を失ってゆきました。19世紀の機械化によって一時的な経済的繁栄がもたらされた後、20世紀以降は下降線をたどって工場は次々と閉鎖しました。1977年に最後の織物工場が市を去り、700年におよんだ産業は幕を閉じるのです。

旅行インフォメーション

ビュルフト城塞
Burcht van Leiden

Van der Sterrepad 5, 2312 EK Leiden
観光局https://www.visitl...e-burcht-1   

本日の行程

2019年10月火曜日 天気:☁ 気温:寒い、アウター必須

時刻内容
09:20 - 09:56アムステルダム駅(Amsterdam Centraal)
[鉄道]NS Intercity
ライデン駅(Leiden Centraal)
[散策]露店、博物館、パレード
15:00[昼食]遅い昼食、ケバブを立ち食い
[散策] ビュルフト城塞 、露店
17:03 - 17:40ライデン駅(Leiden Centraal)
[鉄道]NS Intercity
アムステルダム駅(Amsterdam Centraal)

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